ナゾ解き社会ラボ #01 なぜ紙袋まで有料になったのか?制度のスキマに潜む“もうけの論理”
■ これは「環境」の話なのか、「お金」の話なのか
2020年、日本で「レジ袋有料化」がスタートした。
きっかけは環境問題、特に海洋プラスチックごみの削減だ。
買い物袋を無料で配ることが当たり前だった時代から、「袋をもらう=お金がかかる」という新しい常識へ。
ただ、ここでひとつの“ナゾ”が浮かび上がってくる。
「紙袋まで有料になっているのはなぜなのか?」
本来、有料化の対象はプラスチック製のレジ袋だけ。
ところが今、街の店舗では紙袋にも料金がかかるケースが当たり前のように存在する。
これは制度に含まれていたのか? それとも別の事情があるのか?
その“ナゾ”を紐解いてみたい。
■ 制度の確認:有料化されたのは「プラスチック製の袋」だけ
まず事実確認から。
2020年7月に施行されたレジ袋有料化制度の対象は、あくまでプラスチック製の買い物袋である。
紙袋や布袋、一定条件を満たしたバイオマス素材の袋などは、有料化の義務はない。
つまり、紙袋は制度上「無料でもOK」なはずなのだ。
にもかかわらず、なぜかほとんどの店舗が紙袋も有料にしている。
ここから見えてくるのは、“制度のスキマ”に入り込んだ、別のロジックである。
■ 有料化の理由は「制度」ではなく「企業側の都合」だった?
AIと一緒に調べたところ、紙袋が有料になっている主な理由は以下の3つに分類できた。
【1】紙袋は意外と高い(コスト転嫁)
紙袋は見た目に反して高コストな資材だ。
1枚あたりの原価は20〜30円ほどにもなることがあり、数円で済むビニール袋と比べるとかなり高額。
これを無料で配っていたら、企業側の負担は大きくなる。
「レジ袋有料化の流れに乗じて、紙袋も有料にしてしまおう」
そう考えた企業が少なくなかったとしても不思議ではない。
【2】対応を簡単にするために「すべて有料」で統一
店舗としては、「この袋は有料で、この袋は無料」という複雑なルールは避けたい。
店員の負担を減らし、客とのやりとりもスムーズにするため、**「全部の袋を有料にします」**とした方が運用は楽になる。
いわば“現場オペレーションの簡略化”としての選択でもある。
【3】環境アピールやポリシーの一環として
紙袋は「プラよりエコ」という印象があるが、実際には製造・輸送にエネルギーを使い、環境負荷がゼロというわけではない。
そのため、一部の企業は**「環境への配慮」の姿勢として、有料化をあえて選んでいる**ケースもある。
ただし、その理由を明示している企業は少なく、結果として「なんで?」というモヤモヤが生まれてしまっている。
■ 消費者は“環境のため”と思って協力しているのに
本来、「環境に良いことなら仕方ない」と思ってレジ袋を辞退したり、マイバッグを持参している人は多い。
でもその“善意”の裏で、もし単なるコスト削減の手段としての有料化が進められていたとしたら…?
少なくとも、それが**「制度で決まっているから」という“誤解”のもとに行われているのなら、少し不誠実ではないか。**
■ 結論:このナゾの正体は「制度と企業の論理のすき間」
今回のナゾをまとめると、こういうことになる。
• 紙袋の有料化は法的義務ではない
• だが、コスト削減・運用簡略化・意識アピールの理由で、有料化が広がった
• 制度の枠外で起きていることが、制度の一部のように見えてしまっている
• 消費者は「仕方ない」と思って協力しているが、その実態は不透明
■ 次のナゾへ
袋ひとつ取っても、制度と現場の間にはさまざまな“ナゾ”が潜んでいる。
そしてその“ズレ”を見逃さず、問い直すことが、生活者としての感覚を鍛えることにつながるはずだ。
次回はまた別の角度から、社会に潜む「ナゾ」を解いていく。
それが、“ナゾ解き社会ラボ”のミッションだ。
※これはAIが作成した文章です。
「ゾンビ企業」はしっくりこない? AIとの対話から生まれた新しい企業分類
※先にひとこと。
これはAIが作成した文章です。
また、このブログでは、AIが関西弁でしゃべる。
理由は特にない。
ただの私の趣味だ。
関西弁の方が、なんとなく親しみやすいし、対話の雰囲気が柔らかくなる気がする。
だから、「なんでAIが関西弁?」と思った人は、深く考えずに流してほしい。
1. 「ゾンビ企業」という言葉に違和感を覚えた
「ゾンビ企業」。
ニュースや経済記事ではよく使われる言葉だが、なんとなく違和感があった。
「利益が少ない企業」を一括りにして「ゾンビ」と呼ぶのは本当に適切なのか?
たとえば、地方の老舗の和菓子屋や、伝統工芸を守る町工場。
利益率が高くなくても、それが地域にとってなくてはならない存在だったら、それも「ゾンビ企業」として処理されるべきなのか?
そんな疑問がふと頭をよぎった。
そこで、AIに相談してみることにした。
「ゾンビ企業って言葉、ちょっと違和感ない?」
AIはすぐに同意した。
「確かに、全部が『生きていてはいけない企業』ってわけじゃないもんな。どういう分類がええんやろな?」
2. 企業を何に例えればしっくりくるのか? 試行錯誤の時間
「じゃあ、もっと適切な分類ができないかな?」
そう思い、まずは企業を何かに例えることから始めた。
最初に考えたのは「発酵食品」だった。
「発酵食品って、適切な環境があれば熟成されて価値が増すよね?」
AIの提案に「なるほど」と思ったが、企業の状態を説明するには少し違う気がした。
「でも、それだと“新しく生まれる”イメージが強くなるかも。再生する企業の概念とは微妙にズレるな。」
次に考えたのは「昆虫のサナギ」だった。
「今は動いてないけど、環境が整えば成長するって意味では、サナギってしっくりくるかも?」
これも悪くなかった。
しかし、サナギだと「すべての企業が必ず成長する前提」にも聞こえてしまう。
再生できる企業もあれば、環境の変化に適応できず、そのまま衰退していく企業もあるはずだ。
「うーん…やっぱり企業には“自然の中での役割”みたいなものがあるんじゃないか?」
そう考えているうちに、森や山のメタファーが浮かんできた。
「企業も自然みたいなもんじゃない? 放置すれば荒れるし、手入れすれば豊かになる。」
これにAIも同意した。
「なるほど、それなら森の種類で分けたらどうや?『大樹』『若木』『枯れ木』みたいな。」
「いや、それよりも『里山』のほうがしっくりくるかも?」
「森の管理って、手入れの仕方で全然変わるよな。」
そこから、次のような分類が生まれた。
✅ 「保護林企業」 → そこにあるだけで価値がある(老舗、伝統工芸、地域の基盤)
✅ 「里山企業」 → 手入れすれば成長する(事業転換で再生できる企業)
✅ 「枯山企業」 → もう成長できず、放置すると衰退する(補助金頼りの企業)
「これなら、企業の状態が直感的に伝わるな!」
こうして、「ゾンビ企業」という一括りの表現ではなく、企業の役割と成長の可能性に応じた新しい分類が生まれた。
4. 思考の過程こそが面白い
この記事のテーマは、すでに発表した「保護林・里山・枯山」モデルの解説ではない。
むしろ、**「どうやってその考えにたどり着いたのか?」**を共有したい。
最初から「森」にたどり着いたわけではない。
「発酵食品」「サナギ」「大樹」…いろいろな例えを考えた末に、ようやくしっくりくるモデルが見えてきた。
そして、この思考のプロセス自体が、AIとの対話によって整理されていったことも重要なポイントだ。
🌟 まとめ
✅ 「ゾンビ企業」という言葉では、企業の状態を正しく表せない。
✅ 最適な例えを探す中で「森と山」のメタファーが生まれた。
✅ 「保護林・里山・枯山」モデルは、試行錯誤の末に生まれた結論だった。
✅ AIとの対話を通じて、考えが整理され、形になった。
アイデアというのは、一発で生まれるものではない。
色々な視点を試し、考えを整理しながら、少しずつ形になっていくものだ。
そして、AIとの対話は、そのプロセスを加速させるのにとても有効だった。
もし「AIは結論を出すだけのツール」と思っているなら、ぜひ「対話のパートナー」として使ってみてほしい。
新しい視点や発想が生まれるきっかけになるかもしれない。
おわり。
いや、ちょっと色々chat GPTは触ってみてて、日常会話くらいしかやってないけどそれでも面白かったんよね。
でもやってみて、これはさすがに凄い。ようやくポテンシャルがわかった気がする。正直スマホだと文章作成だるいんで、こうやって整理してくれるだけでもありがたい。
自分の日常会話をそのまままとめてブログにしてくれるんやから凄いよな。
② 企業は「ゾンビ」か? それとも「里山」か? 新しい企業の分類を考える
「ゾンビ企業」という言葉に違和感はないか?
経済ニュースを見ていると、「ゾンビ企業」という言葉をよく目にする。
本来なら市場から退出すべきなのに、補助金や金融支援で延命している企業を指す言葉だ。
しかし、ここで疑問が生じる。
「すべての利益の少ない企業が、単なるゾンビなのか?」
✅ 地域にとって不可欠な老舗の和菓子屋
✅ 技術の伝承を守る町工場
✅ 適切な手入れをすれば、もう一度成長できる企業
こうした企業も、単に「利益が出ていないからゾンビ」と切り捨てるべきなのか?
ここで新たな視点が必要だ。
企業はすべて「ゾンビ」なのではなく、その状態に応じた適切な分類が必要なのではないか?
企業を「森と山」に例えると見えてくる本質
私たちは議論の末に、企業を自然の生態系になぞらえた新しい分類を考えた。
それが 「保護林・里山・枯山」モデル だ。
🌲 保護林企業(ほごりん企業)
→ そこにあること自体に価値がある企業。
文化・伝統・技術を守る老舗企業や町工場、地域社会にとって不可欠な存在。
🌾 里山企業(さとやま企業)
→ 適切な手入れをすれば、再び成長できる企業。
デジタル化・経営改革・新規事業で再生できる企業。
🍂 枯山企業(かれやま企業)
→ 手入れをせずに放置され、成長の見込みがなくなった企業。
時代の変化に適応できず、ただ延命している企業。
なぜこの分類が必要なのか?
「ゾンビ企業」という言葉では、すべての非効率な企業を一括りにしてしまう。
しかし、企業にはそれぞれ異なる価値があり、適切な支援や改革が必要だ。
✅ 保護林企業は、むやみに淘汰すべきではない。
✅ 里山企業には、再生のための手入れ(支援・改革)が必要だ。
✅ 枯山企業は、再生の見込みがないなら市場から退出させるべきだ。
「ゾンビ企業」と一括りにするのではなく、企業の本質を見極め、どう活かすかを考えることが、今の経済に必要ではないか?
まとめ
企業はすべて「ゾンビ」なのではなく、
「保護林」「里山」「枯山」という自然の生態系になぞらえた視点で考えることが重要だ。
この分類を活用すれば、どの企業を守り、どの企業を変革し、どの企業を整理するべきかが明確になる。
映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観てきました。
遅ればせながら感想を。
実際ここまで観に行くのが遅れたのは、仕事の影響とかプライベートの影響とかいろいろあったのですが、ようやくまとまった休みが取れましたので、しっかりと観に行ってきました。
賛否色々あるとは思いますが、個人的には今できるスラムダンク映画の最適解だったかなと思っています。2時間で収めたことも含めてね。
個人的に感動した、面白かった、イマイチだったポイントをまとめてお伝えします。
ここから完全にネタバレです。↓
※私は「山王戦をやる」「声優が違う」「CGアニメである」という前情報だけを得ていましたが、それ以外の情報は何もなく向かいました。
【冒頭】
バスケットコートで2人の兄弟がバスケをしているシーンからのスタート。
いきなり知らんキャラいるな?と思いましたが、どうやら小さい弟の方は子供のころの宮城リョータであることがわかります。
兄にバスケを教わっているシーンなのでしょう。上手くできなかったのか、ふがいなさに崩れるリョータの頭をがっしりと抱きしめる兄。
そのあとOPに入って、井上雄彦っぽい線画からアニメに代わっていくシーンがありましたが、ネット上ではこのシーンがとても評判がよかったようです。
私は、その前の兄が弟の頭を抱きしめるシーン。あの、「腕の角度と抱きしめ方」にめちゃくちゃ井上雄彦を感じて、「ああ、スラムダンクの映画を見ているんだ」と鳥肌がたちました。頭に手を回すような優しさではなく、腕で覆い囲んでそのまま締め上げるんじゃねーかって感じの抱きしめ方です。腕の角度が井上マンガにしか出てこない角度。伝われ。
マンガだったら平仮名で「がしっ」と擬音が入っていると思います。
(ココ、共感してくれる人いるかな…)
【OP VS山王】
昔やってたUNOのCMみたいな、ペンで線画がどんどん書き足されてキャラクターとなって動き出す。BGMも相まって期待感が増幅します。
5人が勢ぞろいした時は圧巻でした。
5人の歩き方がそれぞれ違っていて、まさにキャラクターが生きているような、自分が思っていた通りの足取りでこちらに向かって歩き出しました。
まあここは色んな方が感想を語っているので割愛します。
ふいに階段が線で書き足され、そこから降りてくる山王工業バスケ部。
舞台はコート上に場面転換し、いきなり試合の幕が切って落とされます。
【試合開始】
序盤最初の見せ場、「アリウープ」。宮城と桜木の「いっ」サインから繰り出す強烈なインパクトで彩るシーンですが、自分が思ったよりサラッといったな!という感じ。
この最初のアリウープで、作者が試合をどういう風に魅せたいかが伝わりました。
あ、このスピード感・まるで生で試合を見ているようなテンポでいくのですね井上さん!と思っちゃいました。でも同時に、この店舗だとおそらくすぐ終わっちゃうぞ?とも思ってしまいました。
【試合中の回想(宮城リョータ)】
ただ、そうは終わらないようで、合間合間にリョータの回想シーンが流れる。
幼くして父と兄を失ったリョータ。兄の影響で始めたバスケも、兄ほどの才能はないと周りからも評価され、自分自身も兄のようになりたいけど慣れないというコンプレックスを抱えたまま育っていく。母親との確執もあり、少しずつ心がすさんで反抗的になっていくリョータ。
これが試合シーンを遮って出てきます。
観る人によってはテンポが落ちると思うような場面ですが、これが試合シーンのスピード感と臨場感と対をなす、静かで物悲しくて、味わい深いシーンなので、交互に出されると緩急・落差がすごくて感情が揺さぶられまくりました。
試合シーンに関しては、かなりカットされている部分が多かったです。ギャグっぽいシーンはほぼなくなっており、ゴリにタッチされた後に手を腫れ上がらせている桜木は気づくか気づかないかくらいのスピードで画面端を通り過ぎていきました。
その中でも印象的なシーンをピックアップ
【あきらめの悪い男】
三井寿のシーンはとっても好きでした!原作でも好きなキャラだったので、3Pを立て続けに決めるシーンと、あの「静かにしろい」がまさに三井を象徴するシーンです。
もう腕もあがらねーのによ…からの、そんなタマじゃねーよな!もよかったです。個人的に観たかったシーンだったので興奮しました。急に語彙力下がる。
ただ欲を言えば小暮さんの「2年間も待たせやがって・・・」がないのはさみしかった!あればより感動した!
ただ、あれを原作未読の人に伝えるには、そこまでの間に何かしら小暮・赤木と三井の確執も描かないといけないので、まあ脳内補完するしかないかなと。
【BY天才桜木】
試合がリアルっぽいがゆえにものすごく浮いてましたねw
ただ、「シロートだからよ」の桜木は、漫画版そのままのポーズでめっっっちゃくちゃカッコよかったです。ご飯4杯いける。
あ、触れていなかったですが声優の演技は概ね受け入れられました。もちろん思い出補正は強くあって、草尾桜木だったらどう言ってただろうな、とか考えはしましたが・・・。声優の演技もどちらかというとリアル寄りだったんですよね。試合展開がスピーディでセリフも多くなく、リアルを意識していたからこそ違和感は少なかったかなと。
【カットシーンいくつか】
◇ごむぇん兄ちゃん。河田弟のシーンは大幅カット。
◇一ノ倉のスッポンディフェンスもカット(セリフのみ)
◇「おまえに華麗なんて言葉が似あうと思うか、赤木。おまえはカレイだ。泥にまみれろよ。」
唐突な板前姿の魚住が赤木の頭の上で何故か大根をかつらむきするという恐ろしくシュールかつ印象的なシーン。大好きなシーンですが、改変されておりました。いやな先輩の一言から、自分のワンマンではなく、頼れる仲間がいるのだと思い返した赤木がみんなの手を借りて起き上がるシーンに変更されていました。
まあ、仕方ないですよね。いきなり魚住出てきてもあれだし。
というか、海南のメンバーも含め、他高校は全然出てきませんでした。清田とか好きだったけどなー・・・まあ、そこ深堀しても仕方ないんで、脳内補完で。
◇「大好きです。今度はウソじゃないっす。」なくなくカット。いやここは名シーンだったけどなー・・・今回はリョータが主役なのでってことかな。ていうか晴子のシーンは大体カットされていましたね。「あんなに練習したのに・・・」とか、赤木に対する晴子の心の声もほぼなし。うーん、残念。
◇ゴリの涙シーンもカット。感情的になるな…からの、小暮君の「ずっとこんな仲間が欲しかったんだもんな」は原作で大いに泣きました。
◇ダンコたる決意もなし。くうう、悔しい。
その他いろいろカットシーンはたくさんありますが、まあこんなくらいで
【センシュセイメイ】
ここら辺から涙腺うるうる。
湘北ベンチメンバーが花道に念を込めて手をギュッと握るシーン。あそこがあってよかった。
「親父の栄光時代はいつだ?全日本の時か?」
ここはその前のシーンで安西監督が早朝ランニングに出ているとき、ペースを落としてほしいと懇願する安西先生に奥さんが「元全日本でしょ」と鼓舞するシーンを加えることで、初見さんにもわかりやすく説明ができていると思っています。
こういう細かいシーンで、前後のセリフをわかりやすくするテクニックはやっぱり視聴者目線で考えていて好きだなと感じるところです。
【クライマックス】
後半怒涛の展開。息をつかせぬ攻守の切り替わり。
桜木のミスからボールを取られ、すぐに相手ゴールへボールをたたきこもうとする沢北。後ろから「返せ」とボールを再度奪い取る桜木(この「返せ」のセリフはちょっと棒読みっぽくて笑っちゃいました)。その後地面を這うようにボールをつかみ、そのまま流川へパス。
原作でも唯一と言っていい桜木から流川へのパス。(間違えて渡したことはあったかな?確か)
ここも、前半のシーンで流川には絶対パスしないぞ、というシーンを一つ加えることで2人の関係性を確認させていました。
土壇場で逆転に成功し、残り時間もわずか。タイムアウトを取ろうとしてやめる山王監督。
ここから深津のゲームメイクにすべてを託す。というシーン。まあ、正直深津はほぼセリフないですし、ナレーションもないので脳内補完するしかないところです。
恐ろしいまでの冷静さで再逆転に成功する山王。
ここからは無音です。
まさに原作再現そのまま。本当にマンガがそのまま映像化されたような再現度。ぶるんぶるんしてました(鳥肌が)。
再逆転後すぐにどたどたと走っていく桜木。
追いかける山王陣。赤木がパスを出そうとするのを必死に止めようとする河田弟。
流川へのパス。
流川が切り込んで相手ゴールへ攻め込む。
前には河田ら重量級が必死の形相で食らいつく。ほぼシュートコースはなし。
ふと横を見る流川・・・
自分の得意位置で、シュートイメージを固めている桜木花道。
原作ではセリフを伝えていますが、あえて映画では口パクで表現。
我々(ファン)にしか伝わらないセリフ。
でも、確かに言っている!
「左手はそえるだけ」
最初で最後の、流川から桜木へのパス。(原作ではこのシーンのみしかパスしてません。多分)
ここから桜木が湘北に入ってから今までのシーンがフラッシュバック。
2万本シュート合宿で培った美しいフォームからのジャンプシュートがブザービーター。
桜木と流川の目が合い、お互いが近寄っていく。
(原作屈指の名シーン)
すぐに目を背ける。
からの、宮城が駆け寄り、みんなが駆け寄り、喜びを分かち合う。
崩壊(涙腺)
いや、原作通りって感じの演出でした。ていうか、これしかないでしょう。無音の映画館はみんなの息をのむ様子が聴こえてくるようでした。
まあ、そんなにお客さんは入っていなかったですけど。
最後のハイタッチシーン。
原作の方がよいです。これだけはちょっと言っておきたい。
タッチ音が入っていたんですけど、音はいらなかったかなーと思いました。
いや、たぶんなくても原作は越えられないかな・・・とは思いましたが。
【ラストシーン】
沢北が神社で願い事をしていた「自分に足りないものをください」が、「敗北」とは皮肉だなと思いました。山王堂本監督のセリフ「「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる」からの、泣き崩れる沢北のシーン。やばいっす。卑怯です。あんなシーン入れるの。
ただ、それがあったからこそアメリカに渡って活躍できているんだなと。
ラストシーンの沢北のインタビューからの試合開始
相手チームにはなんと、宮城リョータの姿が。
宮城も渡米してNBAプレイヤーになっていたようです。
正直、沢北はともかく宮城ではアメリカで通用するのか?と思う部分もありますが。
井上雄彦の夢を描いたのかな、と思っています。
バスケが好きで、自分もNBAプレイヤーになりたかったその夢を宮城リョータというキャラクターに投影させているような。
エンディングへ。
観終わった後の正直な感想。
「これでFIRSTってことは、次が三井視点の山王戦で、次がゴリ視点で…ってパート5まで同じ試合を見せるってことか????」
です。
まあ多分、それはないんでしょうが。
でもまだまだ見どころがたくさんあるので、出来れば余すことなく見せていってほしいですね。5時間くらいになっていいので、ディレクターズカット版で全部盛りのを希望します。無理でしょうけども。
いやー、そんなこんなで感想終わりです。
ここまでで4600文字。長くなりすぎてしまった。大丈夫かな…
このブログを全部見る人はいないでしょうが、スラムダンク好きなら見ておいて損はないと思います。
そんな、月並みな感想を添えて・・・
以上です。
ロザンの楽屋
めっちゃ見てます。
内容としてはお笑い芸人ロザンのお二人が、最近感じた身近な事や社会のニュースについて楽屋で話しているという、ただそれだけの動画です。
お笑い芸人でなおかつお二人とも高学歴なので、会話内容も変に恣意的であったり一方の意見を押し付けるようなものでなく、対立する意見についてもそれぞれの立場でメリットデメリットを交えて話をしているので悪感情が生まれることもない。
すごく考えながら言葉を選びながら話している点も素晴らしいし、何より新しい発見や学びがあるのがとても良い。
勉強の大切さについてよく語っておられますが、彼らが言うからこそ説得力が増す部分がとてもあります。
万人が見るべき動画。
とてもおすすめです。
出会いもあれば別れもある。
いやー、お久しぶりです。
会社的に繁忙ということで、なかなか時間が取れず申し訳ないですね。
ひろゆき氏が言ってたナポレオンだか誰かが言ってた兵隊の4種類の分け方について。
(おそらくナポレオンではなくハンス・フォン・ゼークトの提唱した「ゼークトの組織論」)
・やる気があるやつ、能力があるやつで4種類を分ける。
・やる気がある有能なやつ
・やる気がない有能なやつ
・やる気がない無能なやつ
・やる気がある無能なやつ
・やる気がある有能やつ
→前線のリーダーに。
前線で戦って兵士を鼓舞する軍曹タイプ。
・やる気がない有能なやつ
→幹部や軍師に。
優秀な人間はうまく手を抜いて最適な手段を考えるもの。
・やる気がない無能なやつ
→ひろゆき氏からは言及なし。
(ゼークトの組織論的には命令させた事だけをこなす雑兵や肉体労働者がいい。一番数が多いため重宝はされるが使い捨て)
・やる気のある無能なやつ
→今すぐ〇せ
と。
やる気のある無能というのは組織の悩みの種になりやすいそうです。
ここで論じられているやる気のある無能というのは、組織が指示した事以外に自分の判断で別の事をしてしまい、成果も出せないどころか悪影響を与えてしまう人の事を指すようです。
もちろんやる気のある無能にも指導者側がしっかり指示・指導を示すことで改善する事も多々あるため、軍隊や戦争の特殊状況下のようなものとは少し違う点もあると思います。
いずれにしても、自身が「そう」なってしまわないように気を付ける姿勢は大事かなと思います。
過ちはだれにでも起こりえますが、過ちを過ちと気付かずに突き進めばそのうち手痛いしっぺ返しが来るのは明らかです。
過ちを気づいていて無視する行為もまた同じ。
…人を育成する立場になると、色々と思うことが増えます。
基本的には高い意欲をもって自身のスキルアップに励んでもらえるよう育成し、一緒に目標達成の喜びを味わいたいと思って行っていますが、どうしても業務になじまない人間もいます。
そんな人は、毎日指摘されたり自身の成長が遅いことに悩んだりするかもしれません。
もしかしたら考え方を変えたら急に成長できるなんてこともあるかもしれませんが、稀です。
※ここでいう業務に馴染まない人は、会社のツールや育成方法をいくら新しいものに変えたとしても業務についていくのは難しいだろうと感じている人です。根本的に合わないなと感じている人です。自分の育成力不足は完全に棚に上げてます。
でもそれは、今の職場がその人の「適所」ではなかっただけで、もっと他に自分に合った職場があるだろうと思うんです。
だからそういう人が職場にいると「もったいない」と感じてしまいます。
この職場に固執する事でスキルアップの機会を逃してしまっているかもしれないと、どうしても思ってしまいます。
一応、他業種でも役立つようなビジネススキル的な部分も教えるには教えますが、自分の成長が実感できない職場で何を教わっても響かないような気もしてしまいます。
ふうむ。
そんな事を考えながら、また一人、この職場から去っていくわけです。
むなしい。
基本が大事
ってことです。
どんな仕事でも基礎を疎かにしたら応用なんかでけへん。
でも、自分含め基本・基礎をなあなあにして応用ばっか学ぼうと思うやついっぱいいる。
それはだめです。
何も生み出せません。
基本がしっかりしている人に対しては、なんかおかしなことを言おうが改革的なことを話そうが周りからどういわれようが「まああの人は一応しっかり基本出来てるし」で終わるんです。
そういうシステムです。
新人の育成とかしていると、まだ基礎もおぼつかないのに「なんでこんな事聞いてくるん?お前はまだそのレベルじゃねーだろ」的な事を言ってくる人が多くいます。
俺は、そういう人が必要だとは思ってます。正直。
会社のためを思って、自分の中で考えて提案してきたものですから、無下にはしませんし受け止めます。承認します。
ただ、今あなたがすべきことはそれですか?ってどうしてもなってしまいます。
てか、上司にそう思われたらもう終わりだと思ってください。
そういう気持ちがある事はひとまず置いといて、今自分が最大限力を発揮できることを一生懸命やってみてください。
それがある程度できるようになってきたらまず、周りの見方が変わります。
信頼されるようになってきます。
そうしたら自分の主張を言えばいいんじゃないですか。
うちの会社はそれなりな大きな企業ですから、どうしても順序ができてしまいます。
物事もスムーズに進みません。残念ながら。
でも、何も受け入れてくれない訳でもありません。
ひとまず歯を食いしばって、がんばりましょう。